#10:2004.6.17:レイ・チャールズ逝く
 先日、レイ・チャールズが亡くなった。
70前半と言うことでもっと歳と思っていたのだけど、改めて追悼。

 レイ・チャールズは日本では、『I CAN’T STOP LOVING YOU』、 『WHAT I SAY』や晩年のCM、来日公演、いとしのエリーなどで有名だが、 ソウルミュージックの父としてその功績はあまりにも偉大過ぎる。

 50年代アトランティックに残したゴスペル色豊かなナンバー、 深みのあるバラードは多くの後輩、黒人音楽愛好家に大変重要な 影響を与え、オルガンを弾きながら体を揺さぶりシャウトする姿は ソウルミュージックが持つパッションを見事に体現していた。

 レイ・チャールズを初めて見たのは高1の時、NHKでやっていたデューク・エリントンの70歳を祝うイベント、 アレサ・フランクリンとの競演だったのだが、そのインパクトは実に強力。 取り憑かれるようにアレサのフィルモアのライヴを買い求めたことは今でもよく覚えている。

 比較的早い時期から洋楽を聞き始めた僕は分からないまま、ジャズやブルース、 あらゆるポピュラーミュージックをカセットに録音し、ロックのレコードを買っていた のだが、その背伸びは決して無駄ではなく、このころから実に良質な音楽の衝動を いくつも体現することになる。そんな衝撃がこのアルバムにはある。

 アレサの息遣い、フィルモアの熱気、百戦錬磨のバックマン...レイ・チャールズ の登場でステージはクライマックスを迎える。
 そのブルージーなムードを押し引き、熱狂のるつぼへ叩き込む黒人音楽が持つ パワー、先導士たるレイ・チャールズの存在は15の僕をさらなるディープソウル の世界に引き込む先導士でもあったのだ。

 ジョニー・ウィンターのファーストに収められた 『I’ll drown in my tears (レイのナンバー)』 は今でもフェイバリットな南部バラード。
 アレサのフィルモアとともに聞いてみてください。(papa)
→go to index

#9:2004.5.21:デレク・トラックス見参!!
 どうしても見たかったデレクトラックスに足を運ぶ。 うつむきかげんにSGを指弾く好漢かな?

 彼はサムピックを使わず、指のみで独特のスライドをプレイする。 感情の起伏を表に現さないクールな態度は僕には少しがっかり。
 どうした南部野郎コノヤロウ!立て!立つんだ!熱くなりすぎかな、かな?

 FEEL SO BUT.
 BBキングの『GOIN’ DOWN SLOW』なんて、ミディアムスロウのグルーヴ感は やっぱちょっと味わえない70’Sシスコロック風ジャジーものには物足らなさを感じたけど、 幅広い音楽フィールドを取り込んだ演奏はこれからに期待が持てるね。

 そんじゃ今日はオールマンのフィルモアをディッキーとデュアンのギターを比較しながら聞いてみるべか。
 このアルバムは多くのお薦めアルバムに名を連ねるものの、デュアンのスライドが...ツインドラムが...グレッグの ヴォーカルが...で終わっているものが多い。
 デュアンのレギュラープレイやディッキーのギターがデュアンとどう違って素晴らしいのか、 及ばないのか 読んだことがない。

 改めて針を落とすと1、2曲目は多く語られているので飛ばし、絶妙の絡みが聞ける『STOMY MONDAY』。

 Tボーンのこのブルースバラードはオルガンとデュアンのテンションコードによる素晴らしいオブリガードが、 数あるこの曲のカヴァーの中で出色の出来を演出する。
 デュアンのソロは張りのあるエッジの効いたトーンと、つややかな艶のあるチョーキング駆使してゆるやかに熱を帯びてくる、 ジャジーで軽快なオルガンソロを挟んで、ディッキーのソロ、甘みを含んだトーンとたっぷりとタメの効いたチョーキング、 ピック弾きらしい輪郭のはっきりとしたフレーズは、デュアンに比べオーソドックスなブルース常套句が並ぶが、 ねじり込むような力技のチョーキング、ていねいに構成されながら印象的なフレーズを散りばめクライマックス に持ち込むテクニックは凡百のギタリストを軽く一蹴、見事にエンディングを向かえる。

 この曲の両者のソロはアルバムの中では短いが、共に構成力が抜群、独特のスライドっぽいチョーキング を表情豊かに聞かせながら緊迫感を高めていくデュアン、トーンニュアンスと決めのチョーキングヴィヴラート、 的確な指さばきで対抗するディッキー、甲乙つけ難い。

 まあこの曲だけ2,30回続けて聞いても飽きないので絶対買いましょう。他の曲についてはまた。 (papa)
→go to index



#8:2004.1.3:明けましておめでとうございます
 全国1000万のロックファンの皆様、おめでとうございます。

 昨年の暮れ12月25日、友人である渡辺潮君が出演するということで、『奴婢訓』を観に新国立劇場に足を運びました。

 ご存知の方も多いと思いますが、奴婢訓は故寺山修司の天井桟敷における後期の代表作であり、 ヨーロッパ他世界各地で公演され、装置を含めた舞台美術、音楽と鍛え抜かれた役者の肉体が織り成す 寺山演劇の集大成として多くの観客を震撼させた恐るべき作品。
 それを当時の演出助手兼音楽を担当したJ・A・シーザーが寺山演出に忠実に再構築、 美術も小竹信節が担当し、89〜91年東京、ロンドン、フランクフルト、コペンハーゲン等を 回ったリニューアル版の再演であります。

 少々注釈が長くなりましたが、異論はあれど、注目に値する作品であることはお分かりいただけたかと思います。
 天井桟敷に浅からぬ関係のあった「演劇舎蟷螂」に共に在籍した渡辺君がいかなる芝居を見せてくれるのか、 オリジナルメンバー、ゲスト等によってあの異形の劇空間はまだその抗力を発揮し得るのか?
 従来の万有引力の公演とは一線を画す期待がありました。

 しかし結果はかなりきびしい形となった。
 前半奴婢たち全員が登場し舞台セットを縦横無尽に駆け回るシーンで一気に舞台上の世界に 観客を引き込む圧倒的制圧感があの芝居のポイントだと思うのです。 その背威圧感が海外で上演した時にきっと観客の度肝を抜いたことは想像に難くない。 今まで見たこともない異形の劇空間こそ天井桟敷の真骨頂であり、僕が『百年の孤独』で 初めて震えるような戦慄を味わったことを今でも思い出します。

 そこで初日の感想ですが、動きが切れていないというか空回りしている感じでちょっと辛かった。 ああした動きの美学を知っているだけに残念、舞台が遠く感じられたな。
 そうなるとその後の展開がスリリングに進行しない、芝居の中に入っていけない、 ラストまでその距離は埋まることはなかった。

 台詞劇ではなく<特殊な>装置としての肉体と本物の装置、 音楽による寺山の劇世界であるだけに全てが不成立ということになってしまう。
 一番根本的な部分で役者のエネルギーがひとつになっていないなと感じました。 主軸の動ける役者が年を取ったっていうのもあるけど、全盛期を再現するには役者が 一枚落ちたというのも正直なところです。
 それが何を意味するのか、そうした弱点は簡単に克服できそうで、今現在まったくと言っていいほど難しい。

 しかし、寺山さんの創造した山は堂々とそびえたっていて、その条件を満たした時には色褪せることなく光輝くのだ。 そして、それを超えるものは今だ見つからないのだ。

 寺山さんがなくなって今年で20年、20年前に本格的に演劇を始め、現場から10余年、 外から数年演劇と関わってきた僕にとって何か複雑な思いがしました。

 これは演劇に関わらず80年代から過去の遺産の焼き直しに終始してきたロックシーンにも言えること。

 2004年、自らの手でシーンを切り開こう。過去の遺物をサンプリングしてないでさ!  ということで、ヨーロピアンパパは新しい未来のために今年もよろしく!!(papa)
→go to index



#7:2004.12.4:ありがとうジョンズトリビュート
 【第3回ヨーロピアンパパ・プレゼンツ・ジョンレノン・トリビュート〜シンプルマン シンプルソングス〜レポート】

 まずは今回参加してくれたメンバー、来てくれたお客さん、小屋を提供してくれた次郎吉、チラシを書いてくれたセイタロー に感謝します。

 3回目にしてやっと一般のお客さんに見てもらっても胸を晴れるイベントに成長しました。
 これは、みんなで楽しみたいんだという意志を参加メンバー、観客、小屋側それぞれが理解してくれたからだと思います。
 前回はうちのバイトの3バンドに光ちゃんバンド、田中バンド、オレの弾き語りで完全に身内のりのうえ、お客さんを全然呼べなくて心残りがありましたが、 心機一転、高円寺に戻った今年は次郎吉を押さえ、考え得る最高のメンバーで臨むことができました。

 お客さんがよく入ってくれ、トップのオレのバンドも気持ち良くやれました。自分のイベントにやっとバンドで出れる喜びはひとしお、 オレと22歳の3人という親子バンド並みの年齢差もなんのその、ミニマルミュージックをテキストに無国籍な混沌を残したかった 『TOMORROW NEVER KNOWS』は楽しい創作作業で、若い奴らとやってよかったなあと思った。 調子に乗って40分もやってしまいちょっとヒンシュク?

 まあいいじゃない、2番手武藤君バンドは全曲日本語で、遊んでくれました。ウェンディーへの愛の告白に 置き換えてあの名曲を嫌味なく聞かせたgodは武藤君のキャラの中でこそ生きる唯一無二のオリジナルだね。

 毛皮のマリーズはバリバリ現役の粋の良さでおおいに湧かせてくれた。切れ味鋭い『COLD TURKEY』、 愛情たっぷりの『IN MY LIFE』良かったね。

 そして、今回元マルコシアスヴァンプの石田さんをはじめそうそうたるメンバーで 臨んでくれた光ちゃんバンドは手堅い演奏でがっちり客を引きつけこのショウに 流れを作ってくれました、

 ラストは高円寺が誇るR&Rバンドミサイル兄弟がビートルズ初期ナンバーを惜しげ もなくたたみかけ、これには理屈もへったくれも吹っ飛んでただただ楽しんだ!!

 ミサイル兄弟バンザイ!!そしてビートルズは最高のR&Rバンドであることを再確認、 30分押しで大盛況、大満足のうちに終了、プロデューサーとして出演者としてお客として最高の充実感を味わえました。

 これを出発点にまた来年はよりオリジナリティあふれる高円寺の名物イベントとして一層いいものにしたいと思っています。(papa)
→go to index



#5:2004.11.24:遂に迫る!!
 パパ主催のジョンレノントリビュートも3回目を向かえ、いよいよ来週にせまりました。

 ニューヨークのテロ事件が世界に黒い影を落とし、マイルスのビッチェズブリューとともスタートした 第1回はプロデュースに徹し、9バンドオールナイトでUFOクラブにて行いました(体調を壊し3ヶ月酒断ちしていたなあ...)。

 北朝鮮から拉致されていた人々が帰国、不況が否応なく襲い21世紀がその実像をくっきり現し始めた昨年第2回は、 朋友三原君の池袋シルバラードでパパのバイトがまったく異なった個性で3バンド饗宴。
やはり古くからのダチ田中氏が素敵な演奏で締めくくり、 オレも北朝鮮でもがきながら死にゆく人々にワーキングクラスヒーローを捧げました。

 今年イランに対するアメリカの軍事攻撃が多くの世界的反対を押し切り敢行、不況は さらにうちの店や周りにも飛び火、トリビュートを彩ってくれたZZ TOPが、シルバラードが 閉店。我2号店カメレオンもその姿を七色に変えることなく散りました。

 時代との格闘を運命ずけられたとも言えるトリビュート、正直今年はその開催こそ危ぶまれましたが、多くの友人の尽力もあり無事途絶えることなく3回を迎えます。 規模こそ大きくはありませんが、うちらしい独自色を意識しつつ毒も飲み込んだ今の時代を写す鏡としてやりたいですね。

 でも まあそんなたいそうなものじゃないです、単純に楽しんでください。 うちのバンドは今年の日本の混沌を背中に背負ってどす黒い血を流してみようかなって思ってます。 アンダーグラウンドで培った感性でジョンとヨーコ、そしてビートルズを料理しよう。新童龍二として臨もうかと思っています。

 その他雑食性豊かなキャラクターが揃い、R&R、ブルース、エスニック、フォーク、ファンク、アヴァンギャルド、 ソウルであらゆるものを内包する優しくて傷口にぐっさりくるようなジョンとヨーコの世界を描いてみたいと思っています。
 どうぞ観に来てください。心よりお待ちしています。(papa)
→go to index



#5:2004.11.22:閑話休題
 33年に及ぶ個人史の中で流れ続けてきた『LET IT BE』に対しては、
余りに感情が入り過ぎちゃってつい熱くなってしまった!
 初デートも『LET IT BE』だったしなあ...。
 ジョンバレットテープ(グリンジョーンズセカンドミックス)がパパに今度入荷するので、
そのあたりも視野に入れながらじっくり検証して行きましょう
 たかが音楽、聴いてて気持ち良けりゃいいじゃんって意見もあるでしょうけど、
こちとらジャズが流れてるラーメン屋行くとジャズが気になっちゃってラーメン食えないっす。

 ぶつぶつ言いながらも聞いちゃってますね、あれ。
リンゴスターはやっぱり最高にかっこいいなあ...
僕の今回のベストテイクはフォーユーブルーでしょ。
トーンがグット明るくなってジョンのスティールもノリノリ!!
ジョージの面目躍如の一発!
ええすねえ これ...と思ってると次がロングアンドでやがる。
クソポールと言いたいところだけどやっぱ感動します。
そやから、レノン・マッカートニーをマッカートニー・レノンにするなんて情けないこと言わんといて!!

 あれの話は今日はこれくらいで...

 ただいま来日中のクラプトン初日の広島公演がいち早くパパに入荷しました。

 今回は来年リリース予定の新作からは特に演奏されず、前回ワールドツアーのラスト公演地として行われたテンションはないみたい。
 流す感じ。
 ブルースナンバーも軽いし、90年代のイギリスを席巻した テクノとデジタルエッセンスを盛り込み賛否を浴びたピルグリムに収められながら、 99年ツアーから2001年ツアーにかけてライヴナンバーとして熟成させ信じられないテンションで 全身全霊を込めてプレイしてみせたリヴァーオブティアーズ(あの時ほどスティーヴ・ガットがすごいと思ったことはなかった、震えが 止まらないほど)などもかなりあっさりしたもの。

 二年前を思うとちょっと肩透かしを食うけど、ま、それだけ前回はすごかったてことか。
しかし、90年以降にファンになったり、若い人には久しぶりの全時代から万遍なくヒット 曲を網羅していて、アイショット...やレイダウンサリーあたりも聞かせている、

 まあ飽くまで初日ですから。
どこでまた燃えて飛んでもなくぶっとんだフレージングを聞かせてくれるか、 クラプトン公演のお楽しみではあります。

 7月に行われたジョン・メイオール生誕70周年コンサートの模様も無事全曲オフィシャルでリリースされました。 ブルースブレイカーズのあの名曲群がクラプトン、ミックテイラーのギターを従えて甦るのだからもう興奮せずにいられない。
 ミックテイラーも容姿こそ饅頭にかつらをかぶせたみたいになっちゃったけど、どっこいギターは腐っちゃいないぜ!
流麗で艶のあるスライドプレイ、そしてジャズっぽいナンバーで聞かせるエキゾティックで魔力的なフレージングは健在、大拍手である。

 またミックがらみの話題では、来日が中止となり体調がかなり心配されているジャックブルースの旧作が、
ペイパースリーヴでリ・イシュー。
この中には第一期ジャックブルースバンドの75年6月の2枚組ライヴが初登場。  カーラブレイ等百戦錬磨の猛者が繰り広げる長尺のインタープレイもたっぷり含まれ、ミックテイラーも伸びやかなソロをきかせているとのこと、サンシャインオブユアラヴのミックテイラーヴァージョン というのもおおいに聞き物だ。(papa)
→go to index



#4:2004.11.19:ローマは一日にしてならず、果たして到達点となりえるのか?
 シンプルな3ピースバンドで歌を聞かせてくれたグリーンデイルサイドは概ね新鮮かつ意欲的な雰囲気に満ちていた、 アコースティックナンバーは一曲だったけど印象深く、彼の世界がぐっと広がったなあ...クレイジーホースとの間には マジックがはたらくと言われる爆音演奏は一度体験してみたかったが、まあまあ...。

 ついに『LET IT BE』の本来のコンセプトに基いたネイキッドとタイトルされたアルバムがリリースされた。
 中学の頃、ビートルズの見知らぬアルバムを持ってる奴がいてそれが初めての海賊盤との出会いであった。
 それは、ゲットバックセッションからのアウトテイクや、未収録曲を収めた『RENAISSACE MINSTRELS VOLUME U(ビートルズ海賊盤事典によればTMOQ製)』であり、 当時そういうものが存在すること自体かなり驚きだったのだが、映画『LET IT BE』で仲たがいする彼等の姿はさらに大きなショックを与えられる。

 ヒット曲を集めB面やカヴァーも入れて、より好きな人が大枚払って買うのがLPだった時代に、会話や中途半端な終わり方まで録音されているこのアルバムは新鮮な驚きだった。
 そういったらアビーロードなんかももっとすごいじゃないかと言われそうだけど、
当時で2000円したアルバムはせいぜい3ヶ月に一枚くらいしか買えなかった (レットイットビーは3900円もしたから、 2000円になってから買った。みんなあれを買った。アビーロードはまだ誰も持ってなかった)。

とにかくばかみたいにレットイットビーが流れた、

アイヴガッタフィーリンが東芝ICボストンのコマーシャルに使われた、

ビートルズの解散がNHKのニュースで報道された、

ジョンのマザーよりジョージのマイスイートロードが爆発的に大ヒット、

リンゴも明日への願いをヒットさせポールは出遅れていた、

ジョンがお忍びで来日、イマジンがヒット、

ソロになってもビートルズの影響力は衰えることはなかった。

だんだんホワイトアルバムが気になりだし、和田が買う、

和田はあのあたりから変わり始め、後に連続射殺魔をやりだす、

クリーム、ZEP、ジミヘン、ドアーズ、ジャニスそしてストーンズの日々、

ブルース、ジョニー・ウィンターをへてフュージョン、パンクで原点帰り

ブートレグの存在が大きくなってくるとゲットバックセッションの膨大なソースとも戦わなければいけない、

CD時代に入るとさらに良質の音源がアンサーパストマスターズ等で世に出る、

幻のアルバム「ゲットバック」の正体を求めて当時エンジニアだったグリンジョーンズのファーストミックスが、 80年代になって発掘されたセカンドミックス(通称ジョンバレットテープ)が日の目を見る、

ゲットバックジャーナルやイエロードッグの労作コンプリートゲットバックセッションズがリリース、

今年に入りイエローがオランダで捕まり、膨大なマスターテープが見つかる、

 そして遂にネイキッドがリリースされたわけだ...

 次回に続く...。(papa)
→go to index



#3:2003.3.28:家事る
 最近はなぜか家事に異常なまでの精力を注いでいる。

まず布団を干す、晴れの日は必ず干す、時間のあるときは、念入りに、うらおもて、まえうしろ、 たっぷり干す、ふかふかである。これほどの贅沢があろうか?

 洗濯は任せているものの最上の状態で取込むことを心がける。部屋の空気は小まめに入れ替え、 はたき、掃除機をかけ、日光を十分射し込ませる。太陽の恵みは残らずいただく。 だから日光浴も十分に。

 飯を炊き、ぬかずけを仕込む。カスピ海ヨーグルトを作る。酢の物を仕込む、かじきまぐろの照り焼きを 仕込む、焼き魚は弁当には欠かせない。鮭とさんまの開きも冷凍庫に待機させておこう。
 次はみそ汁を仕込む。おかずにあわせ、もやし、ねぎ、豆腐、じゃがいも、時にミニちゃんこ、とん汁、 貝汁...休日は買出しだ。
 高円寺には10軒近くスーパーがある。阿佐ヶ谷も古くからのお惣菜や、ユニークな肉や、ニュークイックなどがある。 新宿にでると必ず地下食をチェック。伊勢丹クイーンズシェフにも行こう。上野に行ったらアメ横。
風呂の掃除にはカビハイターストロング、ウェンディのトイレ、えさ...。
 へとへとである。

今の時代が終わり、次の時代に生き延びるために家事ろう。スタミナを蓄えて次の時代に闇市で のし上がれるように食べよう、走ろう、泳ごう。
 へとへとである。

 午前0時をまわったらそりゃあ酒を飲む。夜は作らない。人の作ったものを食う。時に語らい、 時に沈思黙考、東スポ片手に。

 BGMは、リッチー・コッツェン、レズリー・ウエスト、アンボイ・デュークス、サニー・ランドレス、 ニューオリンズファンク、サザンソウル、JB、マイルス、プリンス...いえいえ演歌もOK。

 中途半端人間、出稼ぎアジア人、高円寺の喧騒の中で酒を飲む、
 酔いくたびれてふかふかの布団にもぐりこむ、
 明日はまた家事で忙しい。(papa)
→go to index



#2:2003.3.2
 エバラ食品より1月末、『焼肉塩だれ』がリリースされた。あの小堺一機のCMでお馴染みのものである。

 以前よりしょうゆ、ソース、トマトケチャップ、マヨネーズに肩を並べる塩味でシンプルに楽しめる 液状の調味料を作れないものか?(これは、オールラウンドに使いまわせなければならないもので、 さしみにかけて好し、とんかつに好し、サラダに好し、たまご焼きに好し、炒めご飯にかければ、 一緒に炒めた肉や野菜のうまみを殺すことなく、シンプルな塩味チャーハンがいただけるスグレモノ) という命題に挑んでいた私には、何かのヒントになるかもしれない、という思いがあり、さっそく 購入してみた。

 エバラ食品の社長によれば、昨今の焼肉チェーンの普及とグルメブームによって、お客の塩だれ メニューに対する食経験もますます高まりを見せており、この新商品によって新しい焼肉シーンの 広がりを提供し、市場の拡大を図っていきたい旨を語っていた。立派である。さすがエバラ、 なかなかいいところをついているわい、と賞賛を述べたいところだが、如何せん、味の方が思わしくない。 ひょっとしてさしみにかけてもうまいのでは、という淡い期待は裏切られ、口の中には嫌味なレモン味 だけが残った。しかし世は、甘辛く味付けしたお惣菜をおいしい、便利だ、おふくろの味だ、 野菜がとれてうれしい、と重宝がる時代。ひょっとするとヒットするのかもしれない。
 しかし、これは皮肉でも何でもなく、生産者主導の食生活を、とりわけ多くのサラリーマンたちは 背負わされているのではないだろうか?食に対するいい加減さというか無自覚さは、食品生産者の 付け込むところとなり、生産性の高くコストパフォーマンスの良い商品を美味しいと思い込まされて 食べているのではないか?

 お前みたいに一日中食い物のことばかり考えている暇はないぜとおっしゃる諸兄もあろう。 ごもっとも、まったくその通りではあるが、それは、果たして食に関してだけなのだろうか? 衣や住に関してはどうなんだろうか?欠陥住宅を買わされ泣きを見たサラリーマンは、 忙しくていちいち細かいことにこだわっていられないと言って、あった被害を繰り返さないためには、 エバラの焼肉のたれを吟味するところからやらないといけない気がするわけだ。 食べ物屋に行ってまずけりゃ文句をいうところからはじめていかないと、何に使われているかわからない 消費税を文句も言わずに払っちゃうのだ。  長い者に巻かれて生きられる時代は終わった。自分の意思で選択し死のロードゲームを制した者のみが 生き残れる時代。しかし、それは決してひとりの孤独な戦いではなく、最良の理解者、同胞がいなければ、 ゴールにはたどり着けない。

 思うに21世紀は人間関係が希薄になるようでいて実はその逆なのだ。(papa)
→go to index



#1:2003.1.30:新年のご挨拶
 皆さん、お正月は、いかがお過ごしでしょうか?
お店は昨日から開けましたが、あいにくの天気で寂しかったなあ・・・

 昨日、TVで SIMON&GARFUNKEL IN CENTRALPARKをやっていましたが、みましたか?
 まず驚いたのは、PAUL SIMON の真摯な態度、強い意志を表すような佇まいがART GARFUNKEL とは明らかに違っていたことでしょう。惜しまれながら解散した彼らが10年ぶりにSTAGEを共にする、 懐古的なEVENTになってもおかしくないし、実際それだけで十分だと考えていたAUDIENCEも多かったことでしょう。 ARTにはそうした雰囲気を少なからず楽しんでいたところがあったと思います。

 しかし、PAULは熱狂的歓迎ぶりを実にCOOLに受け止めながら、10年という歳月を経てきずきあげてきた自分の音楽を ストレートにぶつけようとしていました。それはアレンジにも伺えたし、ソロキャリアからのナンバーにも如実に現 れていました。明日に架ける橋をPAULが歌わなかったことにも理由ありとみています。

 それが証拠に、去年のN.Y爆破テロのトリビュートイベントではあの美しいメロディを捨て切り、 退廃的ともいえるアレンジで、まったく新しいナンバーに生まれ変わらせていたのだから。 レコードを聴く限りではとてもそうした部分はみえませんでしたが、画面で見せる彼の表情は、 ただ騒ぎ立てるロッカーでも、お客に媚を売る男芸者でもなく、 自信に満ち溢れ凛々しく立ち尽くすアーティスト然としていました。

 S&Gは、日本ではカーペンターズと共に人畜無害なお子ちゃまPOPSと思って安心したり、 はたまた軽んじられる傾向もありますが、 改めて聞きなおして欲しいと思います。(papa)
→go to index